relaxed-speaking-wins
緩んでいる方が、喋りがうまい
喋りをうまくなりたくて、毎日少しずつ練習している。抑揚をつける、語尾を上げる、結論から言う——そういうテクニックの話はよく聞く。でも観察していると、本当にうまい人はそこを握っていない気がする。
緩んでいる方が勝つ
以前、話がうまい人の先生から受けた印象が、ずっと残っている。緩んでいる方が、喋りがうまい。
スポーツでも同じだと思う。武道でも、柔軟に緩んでいる人の方が結果を出しやすい。サッカーのPKでも、ガチガチに固まっている方が失敗しやすい。緩んでいる方が、しなやかにシュートを打てるし、キーパーの一瞬の動きの逆を突ける。会話やスピーチも一緒で、緩んでいる方が勝つ。
だから思うのは、抑揚や語尾は「出力」であって「入力」じゃない、ということだ。手動でつけようとした瞬間に体は固まる。抑揚をコントロールしようとすることと、緩むことは、同じ体では両立しない。中身をちゃんと見て感じていれば、抑揚は勝手に乗ってくる。
結論から言う喋りは、セミナーやプレゼンには向いている。でも聴衆を巻き込むような話は、それだと巻き込まれるほどにはならない。技術としては持っておくけれど、目的地ではない。
右脳で、場を感じながら喋る
うまい人は、その時その時の観客のリアクションを見ながら喋っている。技術的に分解して喋っているわけじゃない。肌で感じながら、エネルギーを感じながら喋っていく。
僕が上手いと感じたのは、Microsoftの澤円さんのプレゼンだ。資料をうまく使いながら、でもベースはあくまで喋り。すごくきれいな資料というより、本人の手が入っていて、喋りと資料が噛み合っている感じがした。作り込んでいる、という印象を受けた。
決めたことをそのまま喋るのではなく、場と一緒に喋っている。そこが違う。
なぜ緩むと、うまくなるのか
一歩深めて考えると、緊張とは「自分が自分の喋りを監視している」状態のことだと思う。
仏教でいう五蘊——色・受・想・行・識——が統合されて、僕らは一つの「自己」を感じている。その自己が、喋っている自分をジャッジしている。うまく言えているか、変に思われていないか。その監視こそが、体を固める。
緩むというのは、その観察者が静かになることだ。ジャッジが消えて、ただ反応だけが残る。筋肉が柔らかいから勝つのではなく、自己参照のループが止まるから、不安が消えて、しなやかに逆を突ける。
PKのキッカーも、スピーカーも、同じ構造なんだと思う。自分を見張るのをやめた人が、場の逆を突ける。
台本はないが、行き先はある
とはいえ、ただ緩めばいいわけでもない。緩んだまま迷子になったら、ただの雑談だ。
うまい人は、行き先だけをゆるく握っているんだと思う。「今日はこの一点だけ持って帰ってもらう」という着地の感覚。それがあるから、安心して緩められる。寄り道しても必ず戻れる。
ある人が「喋りがうまい人は、3つか4つのシナリオが同時に動いていて、それを切り替えている」と言っていた。あれはたぶん、4つの台本のことじゃない。同じ行き先への4本のルートを持っていて、場を見てどれで行くかを選んでいる、ということだと思う。
だから僕が毎日やろうとしているのは、こういう練習だ。喋る前に、「相手にひとつだけ持って帰ってもらう絵か感情」を一行だけ決める。あとは自由に喋る。ただ、ゆるくそこへ戻り続ける。
台本はない。でも行き先はある。この状態を毎回作れるようになれば、緩んだまま着地できるようになる——そう思って、毎日続けている。
毎日の練習を、フィードバックを受けながら少しずつ改善している記録の一つ。