閉じきることの重さ

閉じきることの重さ — 開きっぱなしのタスクが食うもの

ジャーナリングを再開した朝、昨日を振り返って最初に出てきた言葉は「バタバタしていたな」だった。

朝から会議が詰まって、開発は進んで、頭も整理できた。それなのに、一日の終わりに残っていた感覚は「疲れ」よりも「ざわつき」に近かった。

エネルギーを吸っていたのは、進まない案件だった

一日の中でいちばんエネルギーを持っていかれたのは、会議でも開発でもない。進まない案件だった。

何がしたいのかが相手にも自分にも見えていない。専門家がいないので切り分けもできない。メールを一通押し返して、とりあえずの形はつけた。でも、閉じてはいない。

忙しさそのものより、閉じていないものが頭の中に居座っていることのほうが、確実に重かった。

「やる」と「閉じる」は別の仕事

一方で、昨日のうちに終わらせるべきだったタブレット対応が片付いた瞬間は、はっきりとスッキリした。

そこで気づいたのは、「やる」ことと「閉じる」ことは別の種類の仕事だということ。

閉じるほうが、意外にエネルギーを使う。曖昧なものに決着をつけるのは、手を動かすより重い。

それでも閉じたほうがいい。理由はシンプルで、開いたままのものは、頭のメモリを占有し続けるから。バックグラウンドで動いているアプリが電池を食うのと同じで、気にしていなくても、確実に何かを食っている。

閉じられないときの選択肢

とはいえ、全部をその日のうちに閉じられるわけじゃない。相手があるもの、判断を待つものは、こちらの意思だけでは閉じられない。

そういうときは、次の二つを分けて考える。

  1. 自分の手で閉じられるものは、今日のうちに閉じる。昨日作りきれなかったものは、翌朝いちばんに終わらせる
  2. 相手待ち・判断待ちのものは、「今は閉じられない」と認めたうえで、立ち振る舞いだけ決めておく

後者を「どうなるか分からない」のまま持ち歩くと、ずっとメモリを食う。「いまはこの立場で臨む」と決めるだけでも、だいぶ軽くなる。

今日の自分へ

今日もやることは多い。新しいものを動かす予定もある。でも、新しく開く前に、昨日開いたままのものを先に閉じる。

やりきるって、たぶんそういうことだ。


Seeds は完成品ではなく、考えの種。ジャーナリングで話したことを、固有名詞を外して一般化して残している。