面白さではなく勇気
2026年2月11日 ジャーナリング - 面白さではなく、勇気の問題だった
朝の気づき
ずっと自分は「面白くない人間だ」というコンプレックスを抱えていました。それが課題だと思っていた。
でも今朝、夢のあとにふと気づいたんです。面白くない人間なんじゃなくて、勇気がない人間なんだと。
昨日の出来事 - 言えなかった瞬間
昨日、会社で「誰が東京に残るか」という話題になったとき、自分が「じゃあ東京行きます」と言えればよかった。言わなかった。あとから妻に「それ言えばよかったじゃん」と言われて、確かにそうだなと思った。
言ったら、周りが反応する。「なんで?」ってなる。そこから面白い展開になったかもしれない。でも、自分はちょっとセンシティブな話だからと、喋らないことを選んだ。
夜もそう。放映担当を自分がやると言った記憶がないのに担当になっていて、取りまとめの人に聞いたら「森岡さん自分で言ってましたよ」と。それを周りに言おうかなと思った。「ちょっとボケてますね」みたいにおどけて言えたら、笑いが生まれたかもしれない。でも言わなかった。
言えっていうエネルギーが流れていたのに、言わなかった。
矛盾の構造
面白く思われたいのに、おかしく思われたくない。
微妙に違うけれど、結局そこで手綱を引いてしまう。勇気がなくて。
勇気と「面白さ」の関係
同じ会社にフランス出身のシニアエンジニアがいる。その人はやっぱり勇気を持って発言する。文化もあるかもしれない。海外では喋ってなんぼ、喋らない人は「じゃあいなくていいじゃない」という感覚がある。
その人が面白いと思われるのは、勇気を持って喋るからだ。
逆に自分が「なんだこいつは」と思われるのは、喋らないから。面白いかどうか以前に、勇気を持って喋ること自体が大事なんだと気づいた。
受けないかもしれない。でもそのリスクも込みで喋ること、それが勇気の第一歩。
社会人として、人として、レベル1くらいのことかもしれない。でも、今の自分にとっては大きな気づきだった。