AI時代の創作と意識

2026年2月11日 ジャーナリング - AIが期待値を超えた世界で、人間は何を創るのか

音楽をアップする気にならない理由

音楽もゲームも作りたいと思っている。18歳の頃から一生懸命作ってきた音楽には、苦しみの中で生まれた思い入れがある。自分ではすごいと思っている。

でも、記事を書く気にならない。発信する気にならない。

理由はシンプルで、AIが作るもののクオリティが高すぎるから。

昔なら「自分で作ったんだ、すごいね」と言われていた。今は「AIで作ったんでしょ」と言われるだけ。相手の期待値が上がっている。J-POPレベルのクオリティなら、もうAIで普通にできてしまう。自分の曲を聴かせたところで、もはや驚きがない。

SUNOなどのツールを使えば、自分の曲を高い再現度でリファインしてくれる。リメイク、カバー、いい感じに仕上げてくれる。それ自体はすごくいい。でも「驚き」という意味では、もうあまりない。

それでも「人間×AI」の共創にはまだ余地がある

ただ、例えばAIを駆使して2人で2万カットのドラマを作ったという事例が話題になっていた。つまり人間とAIの共創は、2026年の今、まだトレンドとして成立している。

いずれAIが勝手に全部作る時代が来るかもしれない。でも今はまだ、人間とAIが共に作るという行為そのものにテーマがある。数年のウィンドウかもしれないけれど、この期間に音楽をブラッシュアップして最高のものを作る、最高のゲームを作る、というモチベーションなら意味があるかもしれない。

一方で「AIで音楽を作る」「AIでゲームを作る」というだけでは面白みがない。大したプロンプトを入れなくても、かなりいい曲ができてしまうのだから。

何もしなくていい時代と、意識の本質

ゴールデンエイジの予言では、「暇になったら音楽や芸術をやればいい」と言われていた。でも実際にはAIの方がクオリティは上になる。音楽も芸術も、人間がやることは何もなくなる。

その時に残るのは何か。

インドの教えでは、意識の本質はサット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福)だとされている。すべての生き物の意識のベースには至福がある。悟った人が満足しているのは、外側に何かを得たからではなく、この本質的な至福に還っているから。

スポーツ、セックス、ドラッグ——外側に喜びを求めるマインドがある。でも本質的には、瞑想状態、何もない状態、あるがままの状態こそが至福なのだと。

AIが仕事も創作も全部やってしまう世界で、人間に残るのはその意識状態に還ること。瞑想して、遊んで、ただ在ること。

その意識状態になることが、今やっていること。そのために創作するのもいいし、仕事をするのもいい。でも目的はそこにある。